2018年6月11日月曜日

マイ・シューヴァル, ペール・ヴァールー著, 柳沢由実子訳『刑事マルティン・ベック ロセアンナ』

刑事マルティン・ベックシリーズ第一作目。

この前に松本清張『ゼロの焦点』を読み返していて、こんなにおもしろかったっけという気持ちだったのだが(後半の主人公の思考をたどるところはやや退屈)、『ゼロの焦点』の時代設定が1950年代なかば、『ロセアンナ』のそれが1964年。

「もはや『戦後』ではない」が載ったのが1956年の経済白書、東京オリンピックが開かれたのが1964年である。だいたい第二次世界大戦から少し経って次の世代に入ってゆくという時代。

作品の間に十年ほどの差があり、また戦争の中立国と敗戦国という違いはあるが、それでも大きな違いを感じさせる。

独立心が強く、また結婚制度にもとらわれまいとして自由を求める女性を描く『ロセアンナ』。一方で『ゼロの焦点』では「パンパン」であった過去の発覚を恐れる犯人、また特に惹かれ合ったわけでもないのに、理解したとは言い難い相手と結婚する主人公。

アマゾンのレビューには「古臭い」なんていう意見も載っている二つの作品だけれど、こうやって並べてみるとそんなことはなくて、性役割や社会参加についてシューヴァルとヴァールーの社会批評眼は本当に現代的だし、付け加えれば清張先生のほうだってネットで追跡される社会ではリアルな恐怖があるだろう。


あと、こんなところは『笑う警官』になかったので良かった。
http://ikazuravosatz.tumblr.com/post/174686929308/彼はサンドウィッチビーフの薄切りにタマネギ添えのメインディッシュそれにアムステルビールを注文し


美味しそう。食べ物の描写については『笑う警官』のエントリを。

http://ikazuravosatz.tumblr.com/post/174686906363/頭痛がますますひどくなった机の引き出しに頭痛薬を探したが見つからずコルベリからもらおうと部屋へ行っ


http://ikazuravosatz.tumblr.com/post/174686919303/これはとんでもない規模の仕事になるだろうなマルティンベックが言った





2018年5月7日月曜日

マイ・シューヴァル, ペール・ヴァールー著, 柳沢由実子訳『刑事マルティン・ベック 笑う警官』

角川文庫から新訳版が出たマルティン・ベックシリーズの第一作目だそうで、柳沢由実子による訳者あとがきも杉江松恋による解説も実に親切で、前者は訳者によるしかないあとがきだし後者は確かに解説になっている。また再読案内にもなっていて、最近の文庫のあとがきや解説というもののレベルの高さに舌を巻いた。とりあえず最初にこれを書いておく。

「謎が謎を呼ぶ」というのは陳腐な表現だけれど、停滞し、なかなか進展が見られない捜査の中でしかし少しずつ見つかる小さな糸口に指をこじ入れて真相をほじくり出していくような捜査、その水際立った展開は素晴らしいものがあって、でまたここにある種個人作業のような刑事たちのてんでばらばらに見える動きが、それぞれのキャラクターと相まっておもしろい。

キャラクターの類型化はともすれば退屈で浅はかなドラマ描写につながりがちなのに、この作品ではむしろ安定につながって、遠い異国の、あまり愉快とはいえない状況の刑事たちの奮闘に、何か親近感みたいなものを与えてくれている。ベックは慎重だが決断力に優れていて、友人のコルベリは皮肉屋だけれども愛妻家。メランダーは記憶力抜群で物静かで悪筆で、ラーソンは尊大な毒舌家だが意欲的。ルンはのんびりしているが粘り強く、実はラーソンと仲が良い。なんだか白雪姫の七人の小人みたいな、あだ名がついていそうな刑事たちだ。しかしこの童話のような安定はそこに安逸することではなくて、その安定した視線で事件を捜査するために用いられている。


http://ikazuravosatz.tumblr.com/post/173666155133/木曜の晩コルベリはパランデルガータンの自宅に戻ったすでに十一時過ぎだった妻のグンがフロアランプの


http://ikazuravosatz.tumblr.com/post/173666168908/なにごとも起きないままただ時間が流れていった一日に次の日が重ねられるそれが一週間になりさらにつ



http://ikazuravosatz.tumblr.com/post/173666184758/考えたことがあるかねこの町の人間たちはみんなびくびくしているふつうの善良な市民が道を聞いたり

この都市の中の個人というのは訳者のあとがきが詳しいけれど、とても現代的な視点で、そのままTOKYO論にもなりそうだし(一般的な)現代都市論にもなりそうである。まさに現代を先取りしているが、ところでそういう文明批評ができるのが安定したキャラクターを演ずる市民ということもあるが話がくどくなってきた。

それで、ひとつめの引用はこの作品の中でも特に良い=気の利いた夫婦の会話なのだけれど、この作品には後続作品と比べて食事の場面が少ない。ほとんどないといっていい。酒の場面も。

シューヴァル/ヴァールーはリアリズムの手法で書いた。当時はやりのジェームズ・ボンド的華やかさやスマートさとは正反対の、地道に働く警察官たちを真ん中に据えた。スウェーデンではそれまで警察官の日常から事件捜査を描くアプローチはまったくなかったと言っていい。これがその後の北欧犯罪小説、ひいては世界の犯罪小説の形に大きな影響を与えた(訳者あとがきより)
と訳者は書くのだが、食べ物について後続の骨っぽい探偵小説に影響を与えたのは、同じ時代に書かれたジェイムズ・ボンドを描いたイアン・フレミングである。

小説作法の本はいろいろあるけれど、なかで一風変つてゐるのはイアン・フレミングの『スリラー小説作法』(井上一夫訳・早川書房刊『007号/ベルリン脱出』所収)である。彼は登場人物に何を食べさせるかが大事だ、と力説してゐた。こんなことを強調した小説作法はほかにありません。わたしはひどくびつくりして……それから感心した(丸谷才一「小説作法」『好きな背広』所収).


http://ikazuravosatz.tumblr.com/post/173667039468/ところでフレミングは例のスリラー小説作法のなかでかう書いてゐた-以下一段落孫引き

例えば骨っぽく地道な調査が描かれるマイクル・シアーズ『ブラック・フライデー』でも、こんな食べ物が描かれる。一見対立的に見えるような先祖から、両方の美質を兼ね備えた作品が新たに生まれる。


2018年1月17日水曜日

薬師寺克行『公明党』

公明党という政党は支持する人は支持する、支持しない人は支持しないというタイプの政党だ。どの党もそういう性格はあるが、公明党は特にその性格が強くある。

それはいうまでもなく宗教団体・創価学会という支持母体のせいで、だから「次はどの政党に入れようかな」という人が「今回は公明党に」ということはあまりない。前回公明党を支持した人は次も公明党ということで、存在感を放ってきた。

この本は公明党の誕生から現在までの歴史を、その主張の変遷とともにたどっている。その歴史の中では過去に大事にしてきた理念を棄てたり、方向性を百八十度転換していたりするように見えることも少なからず起きていることがわかる。

その中で、公明党が大事にしている、また大事にしてきたことがわかり、また今も公明党に対して投げかけられる謎の歴史的意味が解明される。例えば、


  • 「どうして東京都議会議員選挙を特に重視するのか」
  • 「安全保障政策はブレているのか」
  • 「共産党との犬猿の仲はどうしてなのか」


といった謎である。

また、「下駄の雪」とも揶揄される連立政権における公明党の「連立における役割」が、世界的に見て特異な形であることも本書で指摘される。

そのように見てくると、一見無節操にも見える公明党の言動が、常に歴史的な宿命を帯びたものに見えてもくるところがおもしろい。一方でそれは同党が歴史的なトラウマにとらわれているように見えるということでもある。

本書は軽減税率への執着あたりで終えているが、この延長線上に小池都知事への接近と離反がある。


2017年1月30日月曜日

ミシェル・ウェルベック著, 中村佳子訳『ある島の可能性』

クローン技術によって、世代を超えた生命維持が可能になった“ネオ・ヒューマン”。さまざまな欲望から「解脱」して、安全で、しかし他者と接触しない生活を送っている。しかしその永遠の生命が保障された生活から離れ、野蛮な旧人類がまだ潜んでいる世界に出ていく者が少数ながらいる。

世界の果てでも、改良された肉体は生命を喪うことがない。ラストの何もない風景の中、ただ生きているという諦めとともに無感情に漂っている主人公。とても映画的だ。

愛犬が死ぬところは読んでいて切ない。


2016年6月16日木曜日

丸谷才一「贈り物」「秘密」(『にぎやかな街で』所収)

「贈り物」は軍隊生活の莫迦莫迦しさ、滑稽さを描いた作品だが、一方でその哀切さも胸に迫る。

酔っ払って川に落とした軍刀を部下に探させる見習士官の小隊長、歩兵砲のカバーが紛失して大騒ぎする部隊。そして歩兵砲のカバーで好きになった女に財布を贈ろうとする兵隊……。

この無闇に武張って形式的で暴力的な軍隊の生活を、丸谷才一は短い期間ながら経験していた。


http://ikazuravosatz.tumblr.com/post/94787294978/そんなふうにしてゐるうちにあの八月十五日が来たそしてそれは喜びが胸に湧わき起るといふやうな派


徹頭徹尾軟派で通した丸谷才一ならではという作品。短いがとても良い。





「秘密」は『笹まくら』に直結する徴兵忌避の物語。

徴兵忌避についてはもういいやというくらいなので、他の話。

主人公のお祖母さんが出征前夜、「チョウスウのため死んだどて、どもならねすけの」「ええが、チョウスウのため死ぬのはやめれ」と訛りの強い口調で教え諭す。この「チョウスウ」が何なのかということが謎となって、小説の半分くらいまで進む。このあたりがいかにも『樹影譚』を書いた作家らしくておもしろい。

さらになぜお祖母さんがそのことばを口にしたのか、幕末生まれのお祖母さんの近代日本観がどういったものか、また遠く聞こえる湯治場での宴会の歌の国家観と、主人公は考えづめに考える。この調子を嫌う人もいるけれど俺は好きだ。


にぎやかな街で

2016年6月15日水曜日

丸谷才一「にぎやかな街で」(『にぎやかな街で』所収)

表題作は大江健三郎を思わせる題材の採り方で、最初に読んでからしばらくして誰の作品だったか忘れていた。しかし読み返してみると実に丸谷的作品で、というよりも根源的なものが含まれているような気がする。

 川本三郎も、
のちに『女ざかり』を書いた作家と同じ作品と思えないくらい、これは異様な小説です。若いころの丸谷さんは、こういう小説を書いていたのかと驚きます。これは今、なかなか手に入りにくくなっている本ですが、私は丸谷さんを語る時に欠かせない小説だと思います。
「昭和史における丸谷才一」, 菅野昭正編川本三郎・湯川豊・岡野弘彦・鹿島茂・関容子著『書物の達人丸谷才一』所収.
と述べている。

舞台は戦争末期の広島と十年後、二十年後の広島。二人の男が出てくる。一人は在日朝鮮人で子どもを戦後の混乱期に亡くした主人公、高(通名高井)。もう一人は戦争直後に出会った野村。

丸谷作品らしく死の影が色濃い。野村は諍いから妻を殺していた。しかし原爆投下の混乱で彼は罰せられない。

http://ikazuravosatz.tumblr.com/post/145901230468/彼はちょっと考えてから-やはり楽な気持になりたいから-そしてすこし間をおいて

罰によって社会に受け容れられたいと願う野村と、戦争によって国家そのものを相対化し、周縁化されている高。

高は「しあわせな男だ」と野村に羨まれ、帰り道につぶやく。かつて息子を亡くした日に、<神信心のほうも駄目>だった男はせめて神がこの苦しみを見ていてくれればいいのにと願う。あるいはそう信じられればいいのにと願う。

この見棄てる国家・見棄てる神、あるいは国家の不在・神の不在というのは長く丸谷才一のテーマとなった。
にぎやかな街で


2016年6月14日火曜日

森見登美彦『四畳半神話大系』

最初は「どうだ、巧いもんでしょう、おもしろいでしょう」ってな文体に参ったが、企みがなんとなくわかると一気に読ませる。

本当はもう少し年配の登場人物を配したらもっと深くなったのだろうけれど、ある種の人生の達観や覚悟みたいなものを錯覚しきってしまった年齢として大学生とその周辺という設定は良いのかもしれない。

そういう意味でも(かつての自分のような)若い子らに薦めたいようなジュブナイル性もある。俺もまだまだ若いけれども、俺には平行世界がないかもしれないと思って読み終えた深夜少し泣いた(嘘)。