2024年7月13日土曜日

2024年7月12日、読みさしの『彼方へ』とその他。

 ご無沙汰をしたが、年単位でご無沙汰だったこともあった。


丸谷才一ウィークという以前に読みが遅くて、丸谷才一イヤーを昨年から始めている。今読んでいるのは『彼方へ』


瞬間的に、同時刻に起きている別の登場人物の場面へ切り替わるのだが、これが案外わかりづらい。同じ人物が一瞬にして別の時間に飛ぶ『笹まくら』と比べて、読んでいる身としてのストレスはかなり違う。『笹まくら』のストレスは小さく、『彼方へ』のストレスは大きい。


これは『彼方へ』の登場人物の説明がちっとも済んでいないのに飛躍するせいで、男兄弟二人の名前や別の登場人物の名前を、ページをひっくり返して何度確認したか知れない。


他ならぬ丸谷才一が短篇小説は技巧詰めでいかなきゃいけない、一気呵成に読ませなきゃいけないといっていた。『彼方へ』は何度か読んだことがあるはずだがちっとも覚えていない、その点で、例えば短篇小説集の中の『川のない街で』や『秘密』や『贈り物』や『初旅』とも違う、印象の薄い作品となった。


そしてそういう技巧がアノイングな作品としては、『エホバの顔を避けて』と同じくらいである。あれも、丸谷才一イヤーであっても、ちょっと読み返すのはつらい、内容とかでなく読書体験として。

2024年6月28日金曜日

2024年6月27日、書いたこと

 丸谷才一が芥川賞候補作の選評で「病気になった人物が医者にかからない。そういう人物はいるだろう。しかし作者は物語の筋のためにそうしていて、登場人物を駒のようにして扱っている」というようなことを書いていた。


筒井康隆はエッセイで、「若い世代はロシア・リアリズムのようなくだくだしい描写を鬱陶しく思うだろう。まさにそのようなくだくだしいリアリズムを、むしろエンターテイメント作品で実現することが我々の課題であったが、その意図が伝わっていないようだ」というようなことを書いていた。


ちっとも関連していないようで、実は作品内のリアリズムというのはどういうことかについて、二人は述べている。

2024年6月24日月曜日

2024年6月23日、書くべきこと。

週末の疲れでぐったりしていたが、ひとまず休み前ということで何か、書くべきことが思い浮かんだ、ような気がした。

2024年6月22日土曜日

2024年6月21日

 夜仕事でいらいらして、いらいらしていらいらしてイライラした。ご本も読めず、ロトも当たらずで、何もいいことがない。

2024年6月21日金曜日

2024年6月20日

経理の仕事で午前中が終わる。
 
  芝村裕吏『関数電卓がすごい』 を昨日から読み始める。

 微妙にざっかけない文体。 

 くたびれて一休みし、仕事。